その1からの続きです。

奥州街道との追分からです。

この辺りは町外れのはずですが、道の曲り具合や狭さに城下町らしさを感じます。
宇都宮はバイパスを通過するばかりで、中心部へは初めてでしたが、良い所ですね。

先日、はが路ふれあいマラソンでお会いした、asupapa0910さんはこの辺りかなと考えながら歩く。
この辺りで、時間にして30分くらいでしょうか、みぞれが降っていました。
雪に近いみぞれだったので、濡れる心配はしませんでしたが、この後の天気は気になりました。

小金井の後、初めて見つけた一里塚。
江戸から二十六里。

緩やかですが、上りが続きます。
東照宮に向かう日光街道は、奥州街道と重複する江戸から宇都宮を除くと、
五街道の中では少し特殊だったのでしょうね。

並木の外の高い位置に歩道が通っています。
脇道と交差する度に下りたり上ったりで、少し歩きにくいです。

脇道にちょっと入ってみたらこんな景色が・・・・
この辺りは石造りの蔵が多いのですが、大谷石の産地だから?

大欅
推定樹齢約700年だそうです。
徳治郎ってなんと読むのでしょうか?
交差点には「Tokujiro」とありましたが、
この神社の説明板は「とくじら」でした。

バスの行き先がいつの間にか東照宮に・・・・
このバス停の近くに一里塚は見当たりませんでした。
たぶん江戸から二十八里。

二宮尊徳は晩年日光で仕事をしていたそうです。

全く人が居ませんでした。
普通は大晦日にこんな事しないか・・・・

日光市に入りました。
ここまでで40km、今市まではあと10kmくらいです。
歩くのは以前からやっていましたが、40kmを超える時は覚悟が必要でした。
ジョギングをするようになって、強くなったようです。
この時点でもまだまだ余裕がありました。

右が杉並木の旧道。
車は殆ど通りません。

並木寄進碑
世界最長の並木道としてギネスに載っているそうです。

やはり無人(笑)

一里塚にも杉が植えてありました。
若そうな杉ですが、昔はどうだったのでしょう。

空に明るさは残っていましたが、今市に着く頃には暗くなってしまいました。
最後の2km程はライトが必要でした。
ここは二股の追分で、左が日光街道、正面に見える右斜めに入る道は例幣使街道です。
例幣使街道は倉賀野で中山道に合流します。
今回の街道歩きはここまで。
東照宮まではあと8km。
次回は残りを歩いた後、たっぷりと観光をします。

ゴールは東武線の下今市駅。
トイレと信号待ち以外は止まらずに歩き切りました。
やっぱり強くなっています。

休日の夕方に観光地から東京方面に向かう電車。
大晦日とはいえ混んでいるだろうと覚悟をしていましたが、見事にがらがら・・・・
朝コンビニで買ったサンドイッチとおにぎりを、ここでやっと食べられました。
本日の歩行距離 50.95km


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- 2018/01/02(火) 18:09:29|
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12月31日(月)
中断していた日光街道歩きに行って来ました。
予定よりも早く東照宮の修理が終るという事で、先延ばしにしましたが、
東照宮の混雑もそろそろ落ち着いたでしょうから、ゴールの東照宮を再び目指す事にしました。
前回の日光街道歩きは昨年10月15日。
![171231_001[1]](https://blog-imgs-118-origin.fc2.com/n/a/m/namazu4423/20171231235659700.jpg)
小金井駅前を7時55分にスタート。
一番早い電車に乗れば、あと1時間早くスタート出来たのですが、出遅れてしまいました。

小金井の一里塚。
前回の日光街道歩きはここまででした。
朝食を食べそびれていたので、朝食にサンドイッチ昼食用におにぎりを、コンビニで調達。

新幹線が次から次へと通ります。
いつもよりも本数が多いような気がしますが、帰省客への対応でしょうか。

新幹線の反対側には男体山。
やはり目を惹く山ですね。

下野市役所
旧道の上に建っています。

案内板によるとこんな感じ。

なんの説明も見当たりませんでしたが、なんなんでしょう。
説明の必要が無いくらい、この辺りでは知られた存在なのでしょうか。

市役所の先は、旧道が裏道として残っています。
こういうのんびりと歩ける所は良いですね。

旧道が消えて国道へ。

石橋駅前
グリムと関わりがあるそうで、駅前にこんなものがありました。
グリムの森という公園があったりもしますが、どういう関わりなのかは不明。
その公園でサンドイッチを食べようと思っていたのに、気付かずに通過。

ただの脇道にしか見えませんが、日光東往還です。
南柏で水戸街道から別れ、流山関宿を通って、ここ(北関東道の高架手前)で本街道に合流しています。
だいぶ前ですが、柏からここまで自転車で走った事はあります。

宇都宮市に入りました。
と言っても、中心部まではまだ10km程あります。

大晦日なので、初詣での準備で人が集まっている神社が多かったです。
今日は特別な日なのだと実感。

日本橋から5回目にして100km突破。

市街地をバイパスするR4とはここでお別れ。
宇都宮の中心部へ。
日光まで31kmというのは、日光市役所のある今市までの距離のようです。

12時頃でしたがこの気温。
この日の最高気温もこのくらいだったようです。

直進が奥州街道。
奥州街道は白川までは自転車で走っています。
ここまで22km。
今市まではあと27kmの予定。
今市までは鉄道から離れ、バスの路線に沿って行きます。
途中で止めると、帰りの移動が面倒なので、宇都宮で止めるか今市まで行くか・・・・
ここで止めるのであれば、この後の時間は宇都宮市内を見て歩きたいのですが、それにはちょっと寒すぎます。
まだ12時なので、このまま帰るのももったいない。
という訳で、日没までに着くか少し不安を感じますが、今市を目指す事にしました。
その2へ続く。


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- 2018/01/01(月) 18:03:33|
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その1からの続きです。
小山駅を過ぎて最初の寄り道。

愛宕神社


大きな切り株が2つ。

裏の道は新幹線側道で宇都宮へ行く時のルートで、自転車で何度も通っています。
ちょっと覗いてみたけど、ここもやはり景色に見覚えはありません。
やはり自転車は周りに気付かないみたいです。
たぶん路面ばかり見ているのでしょうね。

巨大ペンギン

こっちは何なのかよく分からない・・・・

昭和18年(1943)大東亜戦争戦捷祈願と書いてあります。

両毛線

大きなケヤキのある参道を発見。

日枝神社

砦跡で、祇園城が滅んだ後にここに遷ってきたそうで、
もとは先程のケヤキがあったところだそうです。

裏手には砦時代の土塁が残っています。

上ってみました。

神社から戻って旧道の反対側には、新幹線の車両基地があります。

左が歩いて来た道で、この先でバイパスに合流します。
旧道は斜め右に入る細い道です。

旧道沿いに塚を発見。

旧道を挟んで反対側にも、少し低いけど塚があります。
案内板も何もなかったけど、一里塚のようです。
先程の神社の土塁もそうですが、
手を加えなければ、この程度の盛り土が400年経っても残っているものなんですね。
重機を使えば一日で壊せてしまいそうな塚ですが・・・・

暫く新幹線の側道に合流します。
やっぱり見覚えはありません・・・・

トラックの荷台?
テールランプ付です。

斜め左が旧道。

現道に合流。

新田宿

旧跡の案内や屋号が出ていますが、目に付く物は余り残っていません。

橿原神社

この会社の敷地を旧道が通っていました。

敷地を迂回すると旧道が続いています。

遊歩道になっていますが、最後は行き止まり。
続きの道は見えていて、通り抜けられそうですが、
私有地っぽいので引き返して迂回しました。

迂回先から振り返るとこんな感じです。
通っても良かったのかよく分からなかったです。

続きの旧道。

暫く行くと突き当たって途切れてしまいます。
畑の向こうに一里塚が見えています。

小金井の一里塚
塚の間を通っているのが旧道です。

日本橋から22里。
日光まで残り14里。

この日は小金井駅から帰宅。
2駅しか歩けませんでした。
小山で3時間近く寄り道をしているからですね。
本日の総距離 23.08km


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- 2016/10/24(月) 18:25:34|
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10月15日(土)
2日連続で街道歩きです。

11時30分間々田駅着、快晴。

前日に歩き終えた所からスタートです。

10分も歩いていないのにもう寄り道、琴平神社です。

高校生の時、何度もここをバイクで通っていますが、雰囲気は昔のままですね。
ただし、あの頃はR4バイパスが途中までしかなくて、今よりもずっと交通量が多く、
宇都宮までは、毎回苦痛でしかなかったです。

宇都宮線と新幹線が近くに見えるようになると、小山までもう少し。

旧道とバイパスの分岐点。
安房神社の入口でしたが、かなり奥まっていたので、気になりながらも今回はパス。

小山の市街地に入って、須賀神社へ。

安房神社以上に奥まっています。
寄る予定にしていなければ、パスしてしまうくらい遠い。

長い参道を歩いて行きます。
須賀神社なのに、須我神社でなく八坂神社が本社らしいです。

右の鳥居は栃木県内で2番目に古いそうです。
一番古いのは東照宮にあるそうです。

この鳥居です、1653年建立。

随神門

七五三参りの人が居ました。
もうそんな時期なんですね。


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小山評定跡
小山市役所の敷地内にあって、気付かずに通り過ぎるところでした。

御殿跡
小山評定の行われたここは、徳川家にとって素通りの出来ない特別な所だったようで、
ここに日光社参の休憩所があったそうです。

城山公園、祇園城跡。

建物は何も残っていませんが、土塁や堀は残り、城趾らしい公園でした。
これは、空堀(旧結城道)。
空堀を掘って、そこに街道を通していたのでしょうか?
それとも、街道を空堀に転用して、街道は別ルートに付け替えたのでしょうか?

反対側は見えませんが直ぐに思川です。

公園もありました。

大銀杏
黄葉の時期は綺麗でしょうね。

公園のあった区画(曲輪跡)を抜けると、また空堀がありました。

この公園良いですね。
近所に1つ欲しいような公園です。

奥に進むとまた空堀が・・・。

この空堀は降りてみました。
この先も城趾なのかはっきりしませんが、公園はここまでのようでした。

先程の大銀杏。
落城の際に、姫が身を投じた井戸の傍らに生えたという言い伝えがあるそうです。
所有者須賀神社と書いてありました。


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この公園はこんな感じに、城の見取り図付の案内があります。
捨て看板なのが気になりますが・・・・

結城道にも降りてみました。

思川方面はこの先で道は消え、踏み跡になっていました。

踏み跡を辿ると河原に出ました。

河原には降りずに公園に戻りました。
思川越しに、大平山や岩船山が見えていました。
ここで小山評定が行われ、
岩船山の向こう側に「犬伏の別れ」の佐野市犬伏があります。

思川


寛政十二年(1800)、右 栃木道、左 佐野道、とあります。
小学校の前にありましたが、元は別の場所にあったようです。
その2へ続きます。


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- 2016/10/23(日) 19:38:32|
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その1からの続きです。

古河市街地を抜けR4に合流する手前、野木神社がありました。
長い参道で、神社は遙か彼方にしか見えないので、気になりながらも通過。

でもやはり気になって、途中から横道に入り参道へ。

大きな神社でした。
誰も居ないけど・・・・

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算額があるそうで、和算の問題が掲示してありましたが、難しい・・・・・



本殿の彫刻が豪華。

201年前。
神社の創建が約1,600年前、
約1,200年前に坂上田村麻呂が、蝦夷平定の帰りに現在地に遷座したそうです。
文化三年に社殿焼失と書いてあったので、再建時のものでしょうか?

いつまでも暑いけど、やはり秋。

推定樹齢650年だそうです。
それでも神社の歴史の半分以下。

野木宿、古河から野木は他の宿場間より短かったような・・・・

是より大平山道
太平山への道で、栃木で例幣使街道に出るそうです。
日光への近道と書いてありました。

太平山への道。
この直ぐ先で、遊水地にぶつかり途切れているようです。

友沼八幡神社
ここの境内が将軍御休所だったそうです。
江戸を出て3日目、古河城から最初の休憩地だったそうです。

木造校舎のような社務所。

この辺りは屋根だけの覆屋の神社が多いですね。
鉄筋製だから今どきの覆屋?

ここにも大きなケヤキがありました。
これは推定樹齢550年だそうです。

交通量が意外と少なくのんびりしています。
鳥居のあるところ、一里塚らしいです。

711M
なる程とは思ったけど、信用はしない。

気になるけど、この神社も奥まっている。
行ってしまえば直ぐなんですが、寄り道が多すぎると全然先へ進めないから・・・・

来ちまった・・・・


野木神社もそうでしたが、ここも良い感じです。
この規模の大きさは、街道沿いの宿場町として栄えた証なんでしょうかね。

土俵まであります。

ジャングルジムも規模が大きいような・・・・

必要ないのに上った歩道橋。(笑)

間々田駅入口交差点。
今日はここまでにします。

寄り道しながらだと、宇都宮まであと2回ですね。

間々田駅
街道歩きなんかしていなければ、たぶん来る事の無かった駅です。
本日の総距離 27.19km


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- 2016/10/22(土) 18:04:35|
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10月14日(金)
日光街道歩き3回目、栗橋からスタートです。

これってJR?東武?
最近の電車はさっぱり分かりません、分かろうとする好奇心ももう無い・・・・

静御前のお墓。

前回日光街道から離れた地点へ向かいます。

八坂神社

狛犬の代わりに鯉。
この神社の成り立ちに鯉が関わっているそうです。

変わった形の覆屋ですね。

神社の横は直ぐ利根川。

江戸時代に造った川です。
人間のパワーって凄いですね。

川を渡れば茨城県。

堤防を少し上流へ行き、旧道に戻ります。
宝珠花同様、ここも旧市街は河川改修で堤防の中、河川敷になっています。

鶴峯八幡宮
大きな神社でした。

光了寺
静御前の遺品と伝わるものが有るそうです。
元は違う名前で今の栗橋駅付近にあったそうで、
その頃このお寺に静御前が埋葬されたという事みたいです。
遺品は持って来たけど、お墓は置いて来ちゃったんですね。

円光寺
鶴峯八幡宮から3軒並んでいます。
宿場の外れだったんですね。

東北本線(宇都宮線)

歩道橋に上るのが最近好きなんですよね・・・。

踏切の先は松並木が・・・・
中田の松原と言って、一里程の松並木だったそうです。

日本橋一七里、日光二十里。
まだ日光の方が遠い。
でもあと6kmくらいで中間点です。

個人宅の門前にあった謎の道標。

古河城御茶屋口門跡
古河城も渡良瀬川の河川敷の中にかなりの部分が埋もれています。

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古河は見たい所が多すぎて、ここで一日が終わってしまいそうなので、
改めて訪れる事にして、今回は先を急ぎます。


道標
東筑波山と書いてあります。
現在のR125ですね。

さっきの道標があった所は、昔は丁字路だったらしく、
宿場を抜けた街道は寺町に突き当たり、そこが曲尺手になっていたようです。

旧道です。

曲尺手を直進する道が出来て、この辺りは静かになったのでしょうか。
その2へ続きます。
追記
そうそう、書き忘れました。
ブルーさん碓氷峠頑張って下さい!!
あそこは平坦ですよ。(笑)


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- 2016/10/21(金) 19:41:37|
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昨日今日と2日連続で日光街道歩きに行って来ました。
街道歩きが面白くなってしまい、ウォーカーとして忙しく、大阪マラソン本当に走るのか?・・・って感じです。
次で宇都宮、日光まではあと3回くらいです。
日光と大阪、先に行くのはどちら?
詳しくは後日です。


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- 2016/10/15(土) 23:33:40|
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その1からの続きです。

杉戸宿を出た所からです。

この辺りまで来ると、周辺は田園風景。
スタート地点の日本橋とは大違いです。

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ここも跡地のみ。

杉戸高野台駅

日高屋の所にマックがあったように記憶していたのですが・・・・気のせいでしょうか?

旧道はここを左折。
左折ですが国道が右に曲がっていくので、実際は杉戸を出てからずっと一直線です。

この道も何度か通っていますけど、旧道とは知りませんでした。

踏切の所で何故が不自然に曲がっています。
街道が通っていたであろう位置に家が建っています。

上高野村道路元標
元の場所から移設したそうです。

少し行くと御成街道との合流点。
岩槻街道です。
東京本郷の東大農学部前で中山道と分岐してここへ来ています。

直進が岩槻方面、左折が杉戸方面です。

志手橋
幸手宿の入口まで来ました。

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明治天皇の聖蹟が多いですね。

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上の案内板にある、吉宗が昼食をとった寺。

曲尺手の所にありました。

ちょっと寄り道。
先日ジョギングで来たけど、到着が日没後で何も見えなかった権現堂。


一番綺麗な時期は少し過ぎてしまったようです。
前回あと30分早く来ていれば見られたのに・・・・

権現堂から南栗橋駅まで歩くのにいつも通る道。
もしかしたら旧道かなと思っていましたが、やはりそうでした。

いつも曲がる路地の先に追分がありました。
右つくば道と書いてあります。
大昔は右の道が奥州への道でもあったそうです。
その頃ここは古利根川の左岸だったのでしょうか?

すぐ横を国道が通っているのですが、古い建物も残っています。

この神社の裏手の道に間違って入り込んでしまい、500M程行って気付き、走って戻って来ました。
神社を裏側から見たのに、何の疑問も感じないまま進んでしまいました。

でも、せっかく戻って来たのに、しかも走って戻って来たのに、旧道は国道の下に消えていました・・・・

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国道下に沿う道を暫く歩くとまた一里塚が。

ここは塚が残っています。
塚だけだと現存とは言わないのでしょうか、
蒲生の一里塚が、埼玉県内に唯一現存する日光街道の一里塚と聞いていたのですが・・・・

東北新幹線
日本橋からここまで、15時間以上歩いています。
新幹線は東京駅からここまで約30分で来ます。

旧道かどうか迷いながら入った所にあった香取神社。

小さな社ですが、千木と鰹木がちゃんとあって、立派な感じがします。


この鳥居、宝暦14年(1764)とあります。
ということは、コンクリートではなく石?
どうやって加工するんでしょうね。

一旦国道に出てから栗橋の市街地へ入ります。

写真も撮らずに通過。
間口が狭くて奥行きのある、短冊形の区割りに宿場らしさを感じました。
宿場を通り過ぎた八坂神社前で今日は終了。

この付近はずっと発掘をやっていますね。
関所関連の発掘でしょうか?

八坂神社

栗橋駅から東武線で帰りました。
つい最近来たような気がして確認したら、7月に栃木からここまでジョギングしていました。
本日の歩行距離 35.65km


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- 2016/10/05(水) 18:24:54|
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9月30日(金)
日光街道歩きの続き。

粕壁宿入口、一宮交差点からスタートです。
スタートが11時なので、栗橋か古河までの予定です。

一応春日部市民です、しかも春日部駅近くに3年程通勤していました、
しかし春日部市街地は、どこに何があるのか殆ど分かりません。
その上、勤務先が変わってからは、春日部市街へ行く事は数ヶ月に1度有るかどうかですから、記憶は薄れる一方です。

一宮交差点すぐ近くの東陽寺。
芭蕉が泊まったとされる寺です。

その事を示す石柱があるのですが、
前に車が止めてあって、知っていなければまず気付きそうもないです。

西武、ずっと前にはロビンソンだった所は、こんなものになっていました。
大塚家具の創業者は春日部の人だったんですね。

部屋探しで初めて春日部に来た時、のどかな所だなあと思いましたが、
それから15年経っても相変わらずのどかです。
国道は市街地をバイバスしているし、その国道を更にバイパスする新しいバイパスもあるので、市街地は静かです。

道標
東 江戸
西南 いわつき
裏には天保五年と書いてあります、1834年です。

新町橋
宿場のはずれです。

一里塚跡を示す標柱。
一里塚跡の表示をいくつも見てきましたが、塚が残っているのは殆ど無いですね。

一里塚跡の少し先の道標。
日光街道と関宿道の追分です。
右の石碑に右と読めますが、その先は欠けていて読めません。

追分のすぐ先でR4へ合流。

小渕観音院


良い雰囲気のお寺でした。

杉戸町

杉戸町に入ってすぐのパーキングにあったモニュメント。
ここが北緯36度だそうで、36度線を強調した地球儀です。

何が何でもとまでは思っていませんが、出来るだけ旧道を歩いています。
事前に一応下調べをしていますが、メモまではしていません。
なので、記憶に無いこういう所で迷うんです。
旧道だと思って入って行くとそうではなかったりする事があります。
旧道という表示があったのに、後で調べると違ったり。
前回もだいぶはずしています。

お寺や神社の入口が面していれば、だいたい旧道です。

広い道で、昔は幹線国道だったのでしょうけど、車は全くと言ってよい程通りません。

現道に面したお寺。
この道は相当な回数を車で通っていますが、こんな立派なお寺があった事に全く気付いていません。
こういう事があるので、歩くのは楽しいです。

杉戸宿入口

左に少し入ると古利根川が流れています。
川沿いは自転車で何度も通っていますが、国道からこんなに近いとは気付いていませんでした。

開宿400年だそうです。

江戸時代から続く造り酒屋。
今川家と縁があり、桶狭間の後に移住してきたとの事。

道路元標かと思ったら、道標でした。
百間、倉松八代、と書いてあります。

近津神社

参道に大きな金木犀がありました。
ちょうど花の盛りですね。
この木も実が成らないらしいですね。

富士塚

焼失して最近再建されたそうです。

杉戸は余り気にしていなかったのですが、宿場町の名残があちらこちらにありました。
この日歩いた中では一番雰囲気が良かったかもしれません。


こんな感じです。
新しいので最近なのかもしれませんが、案内板も充実しています。

ここが曲尺手なので、杉戸宿も終わりです。
その2へ続きます。


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- 2016/10/04(火) 18:11:03|
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その1からの続きです。
前回は途中で走り始めたら止まらなくなってしまい、荒川を越えてからの印象が余り残っていません。
それで今回は走るの禁止でやり直したのですが、荒川以北は寄り道する所が余り無い。(笑)
時間が押してきているのもあり、結局また黙々と歩くだけになってしまいました。
寄り道をしながら一日に40km歩くのは無理が有るのかもしれません。
興味のある所をチェックするだけにして、後日再訪してじっくりと見る方が良いのかも。
それでも走るの禁止は良かったと思います。
黙々と歩くだけでしたが、走った時に気付かなかったものを幾つか見つける事が出来ました。

竹ノ塚の北ですが、この道が旧道というのも前回は気付きませんでした。
(後日気付いたのですが、曲がるところを間違えました。これは旧道ではありません。)

旧道はバイパスに突き当たって途切れていました。
しかも歩道に繋がっているだけで、ガードレールが切れていないので、バイパスに出る事も出来ません。
バイパスが出来た時に寸断されたのでしょう。
江戸幕府の五街道が・・・・昔の幹線道路が・・・・・
とも思いますが、この辺りはきっと湿地で何もなかったのだろうなとも思います。

バイパスを越えて少し進むと埼玉県に入ります。

春日部駅まで21km350分。
13時ですから、春日部到着は18時50分、完全に暗くなる。
やはり春日部までは厳しいかもしれません。

それに段々辛くなってきました。
歩くにしても走るにしても、20km以上は体に悪いかも・・・・・。

街道から少し奥まった所にあった草加八幡宮。裏側を県道が通っています。
奥まった所のはずが、今では裏手が表通り。

鳥居には明治26年(1893)とありました。
回りがどんどん変わっていっても、手を付けられずに残る神社やお寺は不思議な空間ですね。
そこから覗く風景や時代は変わっても、鳥居はそのまま・・・・
昔の人はこの鳥居越しにどんな風景を見たのでしょう。

三丁目橋と書いてあります。
残されているのは橋の親柱でしょうか?だとするとこの道は元水路?
親柱だとしても、街道の道筋からは微妙にずれていて、納得の出来ない位置です。
保存の為に親柱だけ埋め直したのでしょうか。

綾瀬川に出た所で休憩。
荒川から10kmを2時間10分、ペースはあまり上がっていません。

登れるのですが、靴を脱ぐのが面倒で止めておきました。
今思うと登っておけば良かったってなるのですが、疲れていたのですかね、
迷いもせずに止めときました。

草加松原

だいぶ飛んで、越谷の旧道入口。
ここまで来ればもう少しと思うのですが、春日部まではまだ10km以上あります。

まただいぶ飛んで粕壁宿入口手前。日本橋から35km。
備後の一里塚跡の碑とか、気になるものは幾つかあったのですが、写真は撮っていません。
疲れていたみたいです。

一宮交差点
今回はここで日光街道から離れます。
草加の道標をみて18時50分到着と思ったけど、17時過ぎに着いてしまいました。
それでも、もういいやという感じになっていたので、粕壁宿には入らず、反対方向の自宅に向かう事にします。

振り返ると・・・・・
東京の基準は都庁ではなくて日本橋なのですね。

反対方向の表示。
次回は古河だと近いし小山だとちょっと遠い。
日光まではあと3回か4回。
日光は見どころが多そうだから4回ですかね。

草加を出てから3時間半程休憩をしていなかったので、この神社で一休み。

春日部近辺の神社には力石がよくありますね。

越谷の英雄、三之宮卯之助の名が・・・・
やっぱりなという感じですね。

百貫目は375kgだそうです。
百貫デブはあり得ないんだな・・・・・
本日の総距離 45.25km


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- 2016/09/19(月) 19:04:27|
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